第八回「ビデオマンザイ part6」

漫才をやって行く事の難しさのひとつとして
相方との人間関係である事。
そんな中でも相方に何かがあった時は
どうしよもない。

例えば相方が病気をするといったものは
僕自身がどうする事も出来ない。
ましてや心の病気となると彼自身も僕自身も
どうする事も出来ない事に気づいた。

人間には意識がある。
その意識を心と言うか、無意識を心と言うか、
意見は様々であるが
意識も無意識もお互い連携している。
ので体が弱ると、自然と脳も弱る。
脳が弱ると自然と体も弱る。
鶏が先か卵が先か?
脳が弱った原因はわかっていても
脳に引きずられ体も弱ってくると、
後の事すべてが悪く思え
そもそもの脳の原因を直しても正常に元に戻すためには
体を回復ささないといけないといった時がある。

これもほんの一例である。

人間の心の病は答えはひとつではない。

これがわかったのも、もっと先の話である。

彼はあの時以来、心の病気にかかったのだ。
僕は人間の心に病気があるなんて知らなかった。

いわゆる心の風邪である。

「がんばれ」は言っては行けない。
といった事は今でこそ普通になったのだが
あの当時はまだ「がんばれ」といった言葉は
薬であると思っていた。

今では、それが先行し。ちょっとした事で
心の風邪にかかる方がいる。
「最近の子は情けない。。。そんな病んでる暇はなかった。。。」
これは戦後の方がよく言う。
その世代の方から言わすと今の鬱といわれる病気は
贅沢病やわがまま病と言う方もいる。
 
確かにそうである、

が、時代が違う。

これは致し方ない。

今における健康の持続の仕方を考えないといけない。

僕も贅沢病を発病しやすい人間だと薄々自分でわかっていた。
そんなびびりの人間だから何事も慎重に行く。
最悪の事を想定して動く人間なのだ。

が、相方は違った。
根っから明るく、根性も才能もあり大胆であった。
その分、外したときの反動は大きかった。

悪い事を想定しつつ明るさを頼りに生きて行くか
いい事を想定しつつ暗さをボヤキながら生きて行くか

これは性格である。

僕は前者のほうで彼は後者であった。
ただ後者の場合は
ある程度の失敗事ならボヤキ言を言ってなんとかなるのだが
予想の失敗事を超えるとボヤキどころではない。
脳もシステム外の出来事に対応しなくなる。
でも人間なのでなんとか対応をするのだが、
やはり頭が弱る。頭が弱ると体も弱る。
属に言う「壊れる」といった事になる。

壊れたものの直し方は彼にしかわかない。
彼と色々話したが、彼もわからないといった具合なのだ。
なのではっきりした答えはないのかもしれない。

なので、そんな答えのない事を探さずに
別の事をやるって言うのもひとつであろう。

だが、そういう訳にもいかなかった。

彼は漫才をやりたくないと家に引きこもった。

こう書いているが、
これが彼の真実ではない。
僕から見た真実なのだ。
彼にとってはもっと複雑だったのかもしれない。

人間なのでもう一度始めから再起動や
修理で全部交換などといった事は出来ない。

特に笑かす職業は、まず心身共に健康でなければいけない。

お客さんが今何を思い、何を求めているか?
瞬時に判断し気の利いた事を
言わなければいけない職業なのだが、
そこには思考能力と言うよりまず体力である。。

各新人賞をいただいてこれからと言うときに
相方の病気を知って、仕事は一旦保留。

僕もその事で気がめいりそうになっていた。