第七回「ビデオマンザイ part5」

名古屋で若手ながら
異例のレギュラーをいただいた我々は
新人らしくがむしゃらに漫才にロケに挑んでいた。

そんな時に相方の師匠の落語家のH師匠からお声がかかり
食事に連れて行っていただいた。

H師匠は普段は温厚なタイプである。
だが事、芸に関しては見た目とはまったく違いすごく
ストイックな方で厳しい愛情のある方であった。

新人賞をいただいた浮かれている我々に
喝を入れていただくと言うか、
芸人としての心構えを問う質問をお食事中になさってきた。

「お前ら、芸人で行きたいんか、タレントでいきたいんか、どっちや?」

若かった自分はそんな事を考えた事もなかった。
なのでその場しのぎの答えを答えたのでなんて答えたかは覚えていない。

が、師匠曰く
「タレントはテレビがなくなたら浮浪者や。
 芸人はテレビが無くなっても芸人や。」

まったくその通りであった。
だが若かった自分はそうなのか?
と自分で咀嚼しないと納得しないといった
堅物な人間であったので、この言葉を持ち帰ったのだ。

で、最後に聞かれたのが
「お前ら漫才を一生やっていくんか、
 それか一時の売れる手段なんか?
 漫才は舐めたらいかんで、一生一心同体やで」

この言葉に相方はうなだれていた。
まったくもってその通りである。

売れる手段のひとつとしてやったとて
一生一心同体の漫才師の方々と
肩を並べれるはずがないのである。

一心同体。一生。

この重い言葉が二人の浮ついた行動を地に着かしたのだ。
なぜ地に着いたのかと言うと、実は漫才は、我々にとって
売れるための手段であったのだろう。
いやそこまでも考えていなかったのか?

僕もそこまで覚悟を決めていない
自分に他人と一心同体になって漫才をするといった
大それた職業の重みを感じていたのと
そんな大きな事は無理かな〜との事も頭をよぎっていた。

そんな覚悟のないままのレギュラーの中
番組は低視聴率であった。

そもそもテレビ番組の主役はスポンサー様である。
スポンサー様にとっての主役は消費者の方である。
その消費者を多く集めてくれるのが番組なのだ。
低視聴率なら企画変更をされる。
お笑い番組から一気に情報番組になったのだ。
情報番組にはお笑いはいらない。
確かな情報のほうが優先なのである。

若かった我々にとって
そんな正確な情報を伝える事はどうでもいいと思っていた。 
それより自分たちが面白い事を言って笑いを誘う。
そのほうがいいと思っていた。

育毛剤がスポンサーの生コマーシャルでの出来事で
「毛根の無い所から毛が生える!」
との生放送での我々の台詞に相方は
「そんなんやったら指から毛が生えてくるがな!」と言い
客席は爆笑したが、当然スポンサーからはクレームが出た。

さ、この場合であるが
笑いの目線からいくと相方の発言は正しいのである。
がスポンサーの目線からはこの発言と客席の笑いは不正解である。
同じ発言を、もし他のタレントがしてたなら許されたのかもしれないが
この時の我々はそのような発言は求められていなかった。

これが世間一般に言う空気を読むといったものだ。

当時のプロヂューサーのI氏はそんな勝手な発言の相方を叱咤し
番組をおろす事を決定。

僕はどうしたらいいものか?
プロヂューサーは残れと言ったが
H師匠曰く漫才師は一心同体である。
「相方が降りるのなら僕も降ります」
と言えば良かったのだが、若かった僕には
そんな勇気もなかった。
お前だけ残ってと相方からは揶揄されたが
俺だけ残ってやろうと言う野心も覚悟も
あの時は出来ていなかったのである。

その番組をきっかけに相方が病気になるとは考えもつかなかった。