第六回「ビデオマンザイ part4」

あの頃の漫才師としての
お仕事は具体的には
2種類のパターンがあった。

ひとつのパターンはネタの時間をいただいて台本通りやる。
もうひとつのパターンは時間も台本もアバウト。
そんな中、2人で客を盛り上げる。

大きくはこの2種類の仕事であった。

時間と台本が決まっててネタをするほうの仕事は、
ある種、楽な作業である。
時間と台詞と決めらると言ったある種不自由ではあるが、
その中での自由は、実はすごい楽であった。

そんな仕事ばかりだったらいいのだが
時間に台詞を「ご自由にどうぞ」と言われる
ある種フリートークなものを求められる仕事。
これが実に難しかった。

ただ単に我々だけで自由にお話して
終わりだったらいいのだが
そこには、お客さんが鑑賞するといった
三者の目も入ってくる。

こうなると我々のやり取りのシステムが
台詞を決めた漫才の応用になってくる。
ほとんど即興であり、アドリブと言うものである。
でも結果は予測をし台本を決めてやる漫才と
同じものを求められると言った難しい作業である。

さ、このアドリブである。

いわゆる予定調和なものがあって
それ以外の予定不調和な事を少しだすのが
アドリブと言うのだが、
まったくの予定不調和な全編アドリブを要求される。

予定調和なものがあると言えば
僕と相方がいる。
僕がツッコミで相方はボケ。
これくらいなのだ。

漫才の台本の応用と言う事で考えると
漫才の基本は、ほとんど相方が考えて相方が答えを出す。
僕はそれを筆記し膨らますといった作業を基本にしている。
ので、その応用になる。

その応用のシステムとしては
例えば彼が即興でボケを言ったとしよう
彼の中では即興なのだが、僕のリアクションや
客のリアクションを彼が予定してた場合
その彼の予定する答えもある程度、僕は瞬時に予測しないといけない。
そして僕はそれらを予測して、ツッコムのだが、
彼の予測していないツッコミを僕が入れた時が問題である。

この後のシチュエーションは3つ合って
1つ目は彼の予測のツッコミからはずれたが、お客さんは喜んだ。
2つ目は彼の予測通りにツッコミ、お客さんは喜んだ。
3つ目は彼の予測のツッコミからはずれるわ、お客さんも喜ばない。
この3つの展開になる。
2つ目ばかりだといいのだが、
3つ目の場合もある。

僕が彼や客を予測する場合、その日の体調や意識によって、反応が変わる事がある。

コンピューターのように今日はお客さんの年齢が20代前半の50人。
職業が大学生。しかも文系。
などと入力し、そこではじき出した結果の反応が来るといった
システム通りにいくわけではない。

人間は複雑なのだ。

逆に言うと、複雑でシステム通り
いかないから面白いといった見方も出来る。

ただ若かった我々に
そういったハプニングな事をおもしろがる余裕はなかった。

即興のお仕事の時は、はずす事が多かった。

大きくは、勝手にお客さんの反応がこれくらいだろうと決め込み、
そのイメージから外れてるだけで落ち込むのが大きかった。

見に来るお客さんも人間なのでシステムは複雑である。

その難しさをひとつ例にあげるとすれば
顔は笑っていたが、実は心ではつまらないち感じている方もいる。

もう一度簡単に言うと
予定不調和になると結果も予定不調和なので
凶と出る事が大きい。

そうなると、漫才師は、どうするか?

いい意味でも悪い意味でも相方の、せいにできる。
よかった事は自分のせい、悪かったら相方のせい。

これが一番楽な逃げ道となる。

なので漫才のすごいところは
ネタが面白いとか面白くないとか以前に
漫才コンビといったひとつのコンビの中に
まったく違った人間同士が、意識を読み合って
意識を統一していくのがどれ程大変なのか?

なので漫才はネタをやる事も大変であるが
相方との人間関係をどう保っていくか、
これが重要なのだと思った。

やっていく事の難しさ。

我々も長くやっていきたかったが
まさかこんな自体になるとは予想もつかない出来事が舞い込んだ。