第五回「ビデオマンザイ Part3」

新人賞をとられてすごいですねと言われる事がある。

確かに、我ながら、振り返れば、他人事のようによく獲ったな〜と思う。
と、同時に穫させたほうもすごいなとも思う。
また、あの時代もすごかったなーとも思う。

さ、ここで一度「お笑いの順位」について書かせていただこう。

我々は新人賞を獲得したのだが、「笑い」に一番や二番はあるのか?
といった事である。

例えば、4組の漫才師が出演し順位をつけなさいと言われたら誰でもつけれるのだ。 

さ、そこに順位をつけた基準(ルール)を提示しろと言われると、さ、どうだろう?

笑いの量が多かった順にする方もいる。

逆にみんなは笑っていないが、自分が面白いと感じた順位にする方もいる。

ネタの構成を見る方もいる。
テンポを見る方もいる。 

多種多様のルールをあげる事が出来る。

笑いの量が多かったと言うルールなのだがお客さんが小学生だとしよう。
子供にはわからないセックスの面白いネタをやったとしよう。

その場の多数の小学生は、ポカンなのだが
後ろの少数の大人は爆笑って時どうするのか?
こうなると、その場の笑いの量だけでは決めれない。

僕が、言いたいのは、絶対のひとつのルール!
絶対の一位!永遠の一位は、あるかと言うと、ある!と言いたいが悲しいが、ないのだ。

例えば、絶対の一位の方の漫才の前に、同じような漫才を見たら
次にやった絶対の一位の方の漫才は、つまらなく感じる。

例えば、癌が発覚した後に癌をネタにしたものをやったら不謹慎に思う。

大人の前で子供に見せる漫才をやったら大人は面白くない。

日本人の前で英語でネタをやっても伝わらない。

これらは絶対のひとつの答えがないのは、仕方がない。

よって、笑いは絶対的なものではなくて相対的なものだ。

もっといったら、本来面白い事は、人それぞれなのだ。

お前の笑うところはつまらない俺のほうがおもしろいといったところで
何を基準にするかである。

でもそんな事を言ってたら番組は成り立たない。
賞レースといったショウである。
ショウといった見せ物にするにはルールがいる。
基準がいる。
基準もひとつでは、物足りない。
何個かいる。
その何個かもその時の何個かなのだ。
何か基準を決め、戦わしてジャッジするしかない。

そのジャッジは、絶対の永遠ではない。
 
僕の漫才はあの時のたまたまのルールの基準で一位になった。
しかもあの瞬間だけである。

日々、人間社会が、変わって行く中、
我々の笑いが、絶対永遠であるなんてありえない。

いや、あるのか?
ないと言いきるのも不確かである。

ここも、のちのちょロボットと漫才を作る時に
非常に役にたった。

ただ、若かった我々はあの賞が絶対の永遠の一位だと思っていた。
絶対永遠に面白いネタが出来たと思った。

また 漫才で新人賞をもらってから、漫才の仕事のオファーが多くなった。
漫才の経験をここでいっぱいする事になった。

勘違いや挫折の経験もいっぱいする事になった。