第三回「ビデオマンザイ part1 」

「はいどうもー!ぜんじろう一号です!」
ぜんじろう二号です!」
「お前だれや?」
ぜんじろうや!」
「オレもぜんじろうや!」
と、あらかじめ撮影しておいたビデオを再生し
テレビモニターに映った自分の画面と
掛け合いの漫才をやったのは
20歳を超えた僕であった。

と言うのも、僕はそれまでは
本当の人間と漫才をやっていた。

本当の人間と漫才言うのもおかしな言い方である。
本来は人間同士の複数の掛け合いの会話を漫才と言うのだ。
テレビモニターと人間の掛け合いを漫才と言うか
笑かす手法は漫才だから漫才と言っているのだ
がこのあたりは後々大きな問題になる事は予想もしていなかった。

とりあえず僕はいわゆるボケとツッコミに分かれた
オーソドックスな漫才を人間とやっていた。

そもそも僕は一人芸をしたくてこの世界に入った。
なぜなら芸人さんがよくテレビとかで
漫才師同士仲が悪いなどといった事をよく耳にする。
始めの良さを忘れてしまう運命にあるらしい。
そんな事ならこの世界にいても仕方ないと思ったので
一人芸を楽しくやろうと決めていた。

日本では一人芸は落語といったスタイルが大きいせいか
西洋スタイルのマイクの前でひとり立ち
スタンダップコメデイーといったスタイルで
笑かすといったのは珍しい。
珍しい上に西洋のスタイルの
日常の話の延長で笑いをとるのは難しい

なぜなら日常の話言葉を舞台の
話言葉に変えて話さないと
いけない技法が難しいのだ。

西洋の言葉のようなリズムと
笑かす言葉の文脈のシステムに日本語を
落とし込むのが大変難しいのだ。

とはいいつつ
落語も現代ではあまりうけいれられにくい。

特にテレビでは短く早く笑える
ハプニング的なものが求められる。
落語は笑いが入っているが、
そもそもはお坊さんの法話から成り立ったものである。
笑いも入ってるが、肝心なのはその下地のお話である。
ケーキでいうならスポンジの部分がお話で
クリームの部分が笑いなのだが、
視聴率が主役のテレビではスポンジの部分はいらない。
甘みだけを求められるといった具合なのだから
落語の語の部分はいらずに、落だけを欲しがるので
減退していった。

複数の人間が漫才での会話といったシステムでリズムを作り
会話に似せたすっとんきょうな会話をするほうが
パプニングのシステムは作りやすく
今のところうけいれられやすいといった具合である。

この時はこんな事までは、考えていなかったが
ひとり芸ではなかなか売れにくいと思っていた矢先に
先輩の落語家さんからの漫才のオファーであった。

ぜんじろう賞貰うために一緒に組まへんか?」
大阪には漫才の新人賞のようなものがあった。
いわゆる新人の登竜門である。

登竜門なのだから名前を売るためには是非お願いしますと
即席漫才を始める事になった。

これがのちのちビデオ漫才の原型になり
ロボットへと発展していくとは夢にも思わなかった。